今回は一年前の出産の時を思い出して、出産の時の感動と、これにまつわる色々を、将来娘が見てくれたらっと思い書くことにしました。いまだにアルバムは出来てないけれど、母子手帳はびっしり書いてあるのでそれを頼りに!
注 全くの素の状態なので、私の顔が脂ギッシュである事お許しくださいませ。顔はまん丸です。
2005/7/19 夜21時陣痛開始にて韓国インチョン市の産科へ入院。

よくある、陣痛開始の余裕のある顔つき、だけどこの後の激痛をしらないため単純に笑う・・・。
只、微弱陣痛だったため、弱い波の痛さでもだんだん疲労は出てきた感じ、結局朝まで一睡もしてないなか、深夜2時から10分間隔で陣痛がつき、頭はもともと正常ではないですが、おかしくなって、目を開けると世界が黄色に見えました、これは多分今思うと痛みの絶頂だったのかな。
付き添うとうちゃんは・・・

基本的に何でもやってくれたけど、朝方まだ産まれる気配がないので!飽きてまどろんでいる・・・よく私も写真何ぞ取れたもんだ。
さて朝方6時を過ぎてもまったく陣痛が強くならずに過ぎてしまい、先生からお話が・・・。
このままですと、陣痛も弱いし、赤ちゃんも降りてきません、長い時間待つ事はお母さんの体力消耗につながるので、納得してくれるのなら、麻酔で無痛にした状態で、促進剤をガンガンおとしてお産にもっていきましょうと・・・。ここが韓国らしくストレートだった気が・・・。
とうちゃんが通訳する。
どうする?
私は、なるべく自然分娩を希望なので焦るように麻酔はうちたくないな。
とうちゃんが伝える。
先生はニヤリと笑い、何か話している。
とうちゃんが・・・あのね先生が、麻酔は無料だと言ったら奥さんは即答で了解すると言っていると言う。たいていの奥さんがそうだと持論を展開する。
私は痛いくせに爆笑!先生の気楽さに乗った!私も乗るか?
とうちゃんも爆笑!
これも韓国人の先生的というか実はまれというか、この当直医あくびしながら話すの!逆にむかつくよりも、ちゃんとやることはやってるし、陣痛で苦しんでる私に何やら笑わせるし潔くて好きだった。この先生憎めないタイプ・・・苦笑。
さて2005/7/20朝10時麻酔科開始、ものの15分で下半身に感覚無し、勿論ここまで陣痛には耐えたが、麻酔をかけたことで最後の痛みはなくなるというわけで、気持ちは少し不完全燃焼だったけれど。
だけど赤ちゃんが元気に出てくるならなんでもいい!
11時を回り、急に点滴が早くなり、少しだけ下半身に痛みを感じる、助産師さんがとにかく!いきんで!っと叫んでいるので、感覚無しにいきむこと3回・・・。
小さな丸まった体が私の足の上を仰ぎ、娘は小さな鳴き声ではあったが
元気に、2005/7/20 午前11時16分2920グラムで この世に誕生した。
初乳をあげる真似をして、泣きながら私の胸に来た時の感動はい一生の思い出だと思う。
がんばって産まれてきてくれてありがとう!

産まれて数分後に病院側の写真撮影、この時初めて両手で抱きました。
そしてパパも・・

勿論このあと娘のファーストキスの相手となった。

分娩所要時間、14時間16分、韓国で産むと決意してとうちゃんだけが頼りだった出産、今となっては彼なしでは乗り切れなかった、支えられたと同時に、夫婦で初めて力をあわせて、大きな絆になった経験でした。
娘の名前は、韓国では夫婦別姓であることから、子供は父親の苗字になるため、韓国語で名前を考える事、そして日本で私は即に入籍をしておいたのですが、外国人との結婚の場合、籍を除籍せず、まして韓国では別姓なので、私の籍も苗字もも変わらないので、大使館の方は、お子さんが二重国籍で、韓国でも日本でも育つ事があると考えて、名前が二つあるほうが、パスポートなども使いやすいなどと聞き、結局名前を2カ国でつけることとなりました。
韓国名は サラン 愛という意味です。愛情に恵まれ、愛を人に示す事が出来る人になって欲しいと言う願いです。
日本名は 海郷 みさとです、海を介して貴女には故郷が2つあるということ、海のような大きな心を持てる人になって欲しいと言う願いです。
いつか娘の心に自分の生い立ちを知る時、温かい励みになりますように!!
日本で迎えた一歳の誕生日おめでとう!!